
ですんだことが嬉しかったのです。
息子は、温暖な館山で生まれ育ちました。親がせかせか、がたがたすることに反発するかのように、おっとりとしてお人好です。
弟とともに友だちを探し、毎日、毎日バットとグローブを持って公園や神社へ行っても、誰も相手にしてくれません。石を投げられても、たたかれても、それでも自分のそばに寄ってくれることが、嬉しかったのではないでしょうか。息子自身は泣いて帰ってきたことは一度もありません。
「一緒に遊ぶと病気がうつるから見るな、そばに寄ってはいけない。こっちに来なさい」と、子供に言う親の声が聞こえてくる。私は辛いですよね。しかし、息子は、けろっとしてまた毎日のように友だち探しです。
昭和四十四年九月から、教育相談に通いました。補聴器を付けることをとても嫌がり、私もついつい怒って大きな声を出すこともありました。ある日、買い物先で、自分より小さな女の子が、両耳に補聴器を付けているのを見て、それからは朝起きるとすぐに補聴器を付けるようになりました。
夜、お風呂に入るときと寝るときにはずすだけで、しっかりと自分の耳にしてしまいました。当時の補聴器は箱型でしたから、袋に入れて両脚にふらさげます。それを見て女子高生が、「あの子は男の子か、それとも女の子?、でもまだ子供のようだから、あの胸はおかしい」と話ししているのを聞いて、私も見てみましたが、やっぱり何か変ですよね。週に三回、教育相談に
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